とらドラ! 第10話「花火」

とらドラは数学」なんて言われる理由がようやく分かり始めてきたかも。

この作品において、それぞれのキャラクターは「自身」と「他者」の間にある距離と、「自身」から「他者」へと向かう方向を持ったベクトルとして定義されている。それは狭義では三角関係や四角関係といった二者間の関係だけど、この作品の面白いところは、それをもっと大きな「他者」という存在へ拡張しているところ。簡単に言えばスタンスの違いで、それが単純な男と女の惚れた腫れたではなくキャラクター自身の深みへ繋がってるんだろうな。

何でそんなこと言い出したかというと、みのりんの解釈をどうにも持て余してしまったもので。いわゆる不思議ちゃんキャラで、でも本当はいろんなことを考えてて、でも他人に対しては「不思議ちゃん」を演じている風なところがあって、でも「変わってるね」という評価が欲しいわけでもなくて。恋愛には縁が無くて、でもモテないわけでもなくて、でも自分から男を遠ざけてるところがあって、でも興味が無いわけでもなくて・・・。

櫛枝実乃梨という子は非常に矛盾を抱えている。自分と他人の間に距離があることを知っていながら、さらに嘘の「不思議ちゃん」で他人から距離を置こうとする。それは、嘘の自分で他人との距離を縮めようとした亜美とは全く対称的。

ただ、ベクトルの方向は違えど、二人に共通するのは過敏なまでの他者への恐怖。そして、他人に「ほんとの自分」を見つけて欲しい、認めて欲しいという承認欲求。どこか似ている実乃梨と亜美との本質的な違い、それが自身から他者へと向かうベクトルの向きなのでしょう。ただの承認欲求なら亜美でもいい、ただの不思議ちゃんなら大河でもいい。自分と他人との「距離」だけでなく「方向」も含めて考えることで、他のヒロインには替えられない、実乃梨という女の子の持つ個性や魅力が見えてきます。

「ほんとの自分」が理解されないんじゃない。理解されないのは私が「不思議ちゃん」だから。普段の実乃梨のエキセントリックな言動が、自身を守る壁であり自身を閉じ込める殻であるならば、「ほんとの自分」を隠さない大河に惹かれるのも理解できるような気がします。

「わたしのヘンな話も、笑わないで聞いてくれた。高須くんはちゃんと分かってくれた」

短い台詞だけど、実乃梨の本質はこの辺にあるような気がするんですよね。自称じゃない、本当の不思議ちゃんを落とすコツは「話をちゃんと聞いてあげる」ことですよ!

最後にちょっと亜美の話。

「あたし、自分が寂しいかどうかなんて、考えたこともない」

この台詞がすごく印象的だったんだけど、亜美自身の思いがないということは、彼女はその承認欲求を「恋人」という形で満たしたいわけではないということ。これもまた実乃梨とは対称的なんだよなー。