ジュエルペット てぃんくる☆ 第49話「沙羅のピンチにドッキ☆ドキ!」

沙羅とアルマの戦い。

圧倒的な魔力の差を感じながらも、あかりのために全力を尽くしてアルマと戦う沙羅の姿は感動しましたね・・・!

「たとえジュエルスターになれなくても、沙羅の願いは叶ったわ」

グランプリで優勝することが沙羅の存在証明だった。でも、今は違う。沙羅の欲しかった友達、仲間・・・言ってしまえば、「居場所」はすでに手にしていたのだから。


ただね。もちろんすごく感動して泣いてしまうほどの名エピソードではあったのですが、いくつか気になるところはあって。

ひとつは沙羅の「今のあなたには分からない」という台詞。昔の自分と似ているのであれば、なおさらアルマを救いたいって思ったりはしないのかな・・・?

そしてもうひとつは、沙羅が自らの勝利を放棄してあかりに尽くしたこと自身。あかりのために!って思う気持ちは分かるけど、結果としてあかりの役に立ったというならともかく、最初から勝負を投げるというのはちょっとなあ。たとえ敵わない相手でも、沙羅には、いや沙羅だけでなく全員が、自分自身のために戦って欲しかった。


・・・っということで、ちょっと沙羅のことを考えてみました。

沙羅が見つけた友達や仲間というのは、あかりやミリア、魔法学校の同級生なんだよね。それ以外の、例えばエクセレント学園のグランマニエル何とかさんに対しては特に思い入れはなかったはず。その辺りがあかりの博愛主義とは少し違ってて。身の周りの大切な存在に対してはすごく心を許しているけど、それ以外は基本的に「敵」という認識が近いのかもしれません。

アルマのことだって、あかりが気にしているから・・・くらいの認識しかないんじゃないかな。あかりは元々の博愛主義に加えて祐馬くんのこともあるし、大人たちは過去の負い目がある。でも、それって沙羅には関係ないことなんだよね。みんながみんなアルマに思い入れがあるわけじゃない、というのはスタンスの違いとして当然あるわけで。沙羅の性格なら勝利宣言しちゃうよな、と言われると確かに納得してしまうかも。

勝負を放棄したのもそうで、元々グランプリに出る目的自体がないわけだから、棄権してもよかった。でも、3人で出場することにこそ意味があったわけで。自分の勝利が絶望的になった時点であかりのために尽くすというのは、あかりが好きっていう思いだけでなく沙羅なりの冷静な判断という解釈もできる。あれがもしミリアとアルマの戦いだったら、ミリアは同じようには戦わなかったでしょう。そこにもキャラクターの個性が出ているというか。

そうやって考えていくと、このエピソードには「沙羅らしさ」というものがすごく凝縮されているように思えます。あかりやミリアに対する友情と、本来持ち合わせている状況を計算して行動する冷静さ。このバランスが今回の言動に表れていたのでしょう。それと同時に、ここに至るまで沙羅という子のことをあまり深く考えていなかった自分の浅さが口惜しいです。

いやー、それにしても。あかりちゃんと沙羅が仲良くなるのは、まあ既定路線じゃないですか。それだけに、ミリアと沙羅がここまで仲良くなったことは感慨もひとしおですね・・・。戦いの後、沙羅に抱きつくミリアを見てると、初対面の険悪な雰囲気からよくぞここまで・・・と熱いものが込み上げます。ミリア、すっかり沙羅に懐いちゃって・・・。かわいいなあ。

あかりちゃんが「沙羅、ありがとう!」みたいに言って抱きついたときは「え、『私のために弱点を分析してくれてありがとう』ってことか?可愛い顔して黒いなあかりちゃん!!」って思ってしまった(笑)。その後の「沙羅はわたしに勇気をくれたよ!」という台詞で納得したけど。

でも実際、歴然とした力の差がありながら、最後まで戦った沙羅はカッコイイ。相手の魔法を別の物質に変えるという隠し玉まであって、魔法使いとしての実力も十分発揮できてたよなー。