化物語 第08話「するがモンキー 其ノ參」

駿河編、最終回。

・・・・・・なんつー追い込み方をする話だ。

ひたぎのためなら暦を殺すことも厭わない駿河と、暦のためなら駿河をそばに置くことも厭わないひたぎ。結局駿河は、ひたぎのそばにいたいという表の望みを叶えることはできたけど、裏の望みである暦を殺すことはできなくなった。だから願いは半分、腕もそのままということなのでしょう。

表の望みと裏の望み。ひたぎを想う気持ちの裏にある、暦を恨む気持ち。その辺の光と闇については、うみものがたりの感想で考えようと思っていたところでしたが・・・まさか、こういう解決方法になるとはね。駿河とひたぎの女の戦いというか、人間の業の深さというか・・・。

ともすれば暴走してしまいそうなほどのドス黒い感情を抱えながら、その絶妙な均衡によって日常と言うものは成り立っている。結局誰も救われてはいないし*1、何も解決してはいない。でも、お互いの黒い部分の均衡だけは保たれて、いつもの「日常」という平衡状態に収束していく。

いやー、何とも後味の悪い。ただ、これはこれでひとつの結末でもあるのです。

いつか異なる平行世界で、駿河の本当の望みが叶いますように・・・。


すげー蛇足な追記

蛇足だと思うけど追記。この話がハッピーエンドだと思われてるならたまらないから。

忍野さんは、駿河の本当の望みは暦を殺すことだと、暦の死を望んでいたと言ってたけど、そんなわけないでしょ。人の心には表と裏、光と闇があって、そりゃあ暦の死を望まなかったと言えば嘘になるけれど・・・。暦の死は目的ではなく手段である。その意味で、駿河の「本当の」望みではありえない。暦の死によって、ひたぎの視線を自分に向ける、もしくは誰にも向けさせないことが望みだったんでしょ?

そして、駿河が何故ひたぎに固執するのか・・・。もしかしたら、いや、きっとひたぎのそばにいたいという願いさえ駿河にとっては手段に過ぎない。逆説的だけど「20歳になって腕が治る」とはそういうことでしょ?ひたぎへの歪んだ愛情は、思春期特有のはしかみたいなものだってこと。

ちゃんと駿河の内面を掘り下げていけば、幸せになれる結末があったはずなんだ。仮初めの日常ではない、真の解決が。ただ、このお話ではそれを選ばなかった。敢えて駿河の内面を掘り下げなかった。忍野のミスリードによって、物語はひとつのバッドエンドを迎えることとなったのです。あらゆるバッドエンドは「日常」という平衡の中で焼きなまされ、時間の経過と共に全てが無に帰っていく。


さて話は変わって。ちょっと考えてみると、暦を消したところでひたぎの心が駿河に向くとは思えない。ただ駿河は、ひたぎがたとえ自分のことを見てくれなくても、誰のことも見ないのであれば、それでも良かったんだと思う。7話の感想はその辺りの伏線のつもりだったんだけど、すっかり無駄になってしまいましたね。まさかこんな結末とは思ってなかったんだもん。

駿河の嫉妬心が暦に向かったから、こんな結末でも一応は結末を迎えることができたのだけど、それがもし・・・ひたぎ本人に向かっていたとしたら、一体どうなっていたのでしょうね。

*1:まあ、暦は救われたけど(笑)、それは彼の意図したところではない