ef - a tale of memories. 総感

その瞬間を、今でもはっきりと覚えてる。


1話だけ見て「あぁ、ネギまのシリアス部分なのね」と思ってそのまま忘れてて、ある日家事をしながらビデオを流しっ放しで見た3話。淡々と独白を続ける千尋に「あれ、もしかして話飛ばしてる?」と同時に感じた「これは『ながら見』で見ていいアニメじゃない」という本能的にも近い直感。即座にビデオの停止ボタンを押して、2話から見返しました。あの時全身を走った感覚は何だったんだろう・・・と今でも思います。

1クールという短い時間を半分に区切った、みやこと千尋の物語。お話のテーマ自体はとてもシンプルで、「人を思う気持ち」だったり「夢」だったり。それを過剰なまでに装飾する演出は、原作の雰囲気とリアリティを重視する京都アニメーションと好対称。方向は違えど、エロゲー原作アニメの到達点の一つとなり得る可能性を感じました。

平面的なレイアウトに、絵であることを主張する配色。非現実性を強調するメタファー、舞台装置のような街並み。演出単位にまで分割され、記号レベルにまで抽象化されたヒロイン。その全てが感情移入を拒んでいるように見える中で、たった一つだけリアルなものは何か。キャラクターたちを心の中に繋ぎ留め、identfyするものは何か。それこそが「人を思う気持ち」や「夢」といった、シンプルなテーマだったりするのかもしれません。

極限まで研ぎ澄まされた非日常の世界。余計なものを削ぎ落とし、その器たる肉体までもが世界の一部になる。そこに浮かび上がったのは、限りなく純度を高めた思いの結晶。みやこも千尋も、普通の世界観では明らかに異質な存在。それを考証するでもなく、日常を重ねることでカバーするでもなく、非日常感を強調することで感情だけを抽出するというのは本当に驚きでした。

この非日常感を生み出す演出に対して、中途半端な作画ではとても応えられない。演出の自己満足で終わりそうな試みを視聴者への説得力を生み出すまでに押し上げたのは、間違いなく作画の力であり美術の力だったでしょう。脚本・演出・作画・美術・もちろん役者さんの演技も、全てが高いレベルで統一されていたからこそ、これだけ力のある作品が生まれたのだと思います。

それぞれのトラウマと、それに立ち向かう姿には毎回感動させられました。色々あったけど、最後はハッピーエンドで終わって本当によかった。それは12話の時を重ねてたどり着いた、efという名の"euphoric field"(幸 せ な 場 所)