プリティーリズム オーロラドリーム りずむがオーロラライジングの先に見たもの

48話のラストで「オーロラライジングには続きがあるから」と言ったりずむ。それは49話のオーロラライジング・ファイナルとして出てきてはいたのですが、何がどう「続き」だったのか?そもそも、オーロラライジングとは一体何なのか?

その辺りのモヤモヤについて、最近のエピソードを中心にまとめてみることにします。

りずむのオーロラライジング -- プリズムジャンプは心の飛躍

46話で「オーロラライジングなんてもうどうでもよかった。あいらとみおんの2人に会えてよかった」と言って泣いたりずむ。それでもプリズムクイーンカップに挑戦したのは、2人と約束をしたから。

しかし47話、最後の前哨戦である武道館カップで、かなめにオーロラライジングを決められてしまう。「飛ばれちゃった。あたしより先に」と悔しさをにじませつつも、どこか諦めたようなりずむの口調。以前のりずむならもっと大ショックを受けるか、逆に奮起するか、いずれにしてもこんな薄いリアクションは取らなかったはず。母親に捨てられたことを知った*1りずむにとって、オーロラライジングそのものは本当にどうでもよくなったのでしょう。

そんなりずむに、あいらは挑発とも取れるサムシングブルーコーデでステージに上がる。あいらだって点数に余裕があるわけじゃないから、決勝に出たいならもっと点数を取るためのコーデをするべきだった。それを押しても今回のコーデを選んだあいらの思いについては、機会があれば別のエントリーで語ってみたいところですが・・・。何にしても、あいらのりずむに対する強い思いが伝わるエピソードです。

そして48話。ティアラを借りることを躊躇するりずむに、みおん様が背中を押す。

「こうして周りの人たちが、あなたに協力してくれる。それも含めてあなたの力よ」

本作品には才能の塊みたいなプリズムスターが沢山出てきますが、りずむは決して才能型じゃない。それじゃ、46話の感想でも書いたように、りずむ自身の輝きは何なの?という疑問に対する答えがみおんの台詞に込められているのです。

3人で勝ち取った「ピュアクリスタルハイヒール」、せれのんから譲り受けた「ピュアホワイトウェディング」、あいらから託された「ピュアクリスタルティアラ」、そしてアンディのハートのストーンをつけたネックレスという、サムシングフォーのコーデでリンクへと降り立つ。

http://www.tv-tokyo.co.jp/anime/prettyrhythm/episodes/episodes04/

大人たちの因縁、仲間たちの友情、この作品における全ての感情はりずむに向かってる。それだけに悲劇的な展開も全部りずむが背負うことになってしまうわけで。なぜりずむばかりがこんな目に・・・と何度思ったか。

しかし、そんな感情を、喜びも悲しみも、全てを背負ってりずむは飛ぶんですよ。そして、それをオーロラライジングの輝きへと昇華させる。すごい。本当にすごいよ。プリズムジャンプが心の飛躍だとするのなら、自らの思いに他人の思いを乗せて輝きを放つりずむのオーロラライジングは、まさしくプリズムジャンプそのもの。

そして・・・。吹っ切ったはずの母親への思い。オーロラライジングなんてどうでもよかった。でも、最後の最後でりずむを押し上げオーロラライジングを成功させたのは、捨てたはずの母親の思いだったのです。

そなたのオーロラライジング -- 輝きは幻

さて。オーロラライジング・ファイナルに触れる前に、そなたについても少し。あるいは、オーロラライジングの闇の部分について。

決して幸せとは言えない人生を歩んできたらしいそなたさん。プリズムジャンプに出会ったことで変わっていき、幸せな生活を手に入れる。しかし、そんな幸せはいつか消えてしまうんじゃないか・・・という不安も常に抱えていたようで。

そなたがどうしてオーロラライジングに魂を奪われ家庭を捨てたのか?という点について、実は作品中で明確な回答は出てないよね。オーロラライジングを飛ぶためには大切な物を捨てなきゃいけない、という制約があったにしろ、それは卵か鶏かみたいなモノでしょう。そもそもオーロラライジングを飛ぼうとしなきゃいいじゃんって話になるし。阿世知さんを救うにしても、大切な娘や家族と引き換えにできるものかね?

と考えると、おそらく最初から全てを捨てる覚悟でステージに戻った訳じゃないと思うのです。阿世知さんを助けたい一心で練習をしているうちに、オーロラライジングの「魔」に段々と飲み込まれていったのではないかと。

オーロラライジングが心の飛躍の最終型という話は先ほど書いたとおりですが、だとすれば「魂をもぎ取られる」という闇の側面についても納得がいきます。

オーロラライジングの中心、それは全ての思いが集まる場所。全ての因果律から開放された事象の地平線。そこには最も大切な存在が映し出されるが、不安定な世界における心 = 大切な存在に対する揺らぎが因果律に大きな影響を与えてしまう。そして、そなたは自分の抱えていた不安に飲み込まれてしまったのではないでしょうか。46話のブラックりずむちゃんのように。あいらはあれを「本当のりずむちゃんじゃない」的にバッサリ切り捨てていましたが、もちろんあれは本当のりずむちゃんなんですよね。

自分のオーロラライジングは「幻」だと繰り返していたそなた。家族と暮らした幸せな生活が幻に過ぎないように、心を残して飛ぶオーロラライジングの輝きは幻に過ぎない。それは結局、自分の幸せを信じきれなかったということ。龍之介に貰ったストーンを手にし、オーロラライジングを発動させた時点で、大切なものは手にしてたはずなのに。

龍之介でも、阿世知さんでも、あいらのママでも、誰かがそなたを支えていれば・・・こんな悲劇は起こらなかったのかもしれません。ってか、旦那は何やってんだよ・・・。

りずむのオーロラライジング・ファイナル -- 心の飛躍から、心の開放へ

前置きが長くなりました。

オーロラライジングを飛ぶと、自分の一番大切なものが見える。そこで心が揺らいでしまうと、魂をもぎ取られてしまう。だからケイコーチは「命の次に大切なものを捨てろ」と言ったわけです。しかし、「捨てる」ということは思いそのものを無くすということじゃない。それは大切なものに対する執着や不安、そう言ったものから自由になるということ。

46話で仲間に対する劣等感を受け入れ、48話で母親の愛を確信する。自分の大切なものから目を背けるのではなく、ましてや無くすのでもなく、正面から向き合って受け入れる。そして、リンクとエンゲージするということは、そのステージに込められた思いをも受け入れるということ。それらの思いをオーロラの輝きに昇華させる、それがオーロラライジング

だとすれば、その「続き」、オーロラライジング・ファイナルとは一体何なのか。

「このオーロラの輝きはママへの思い」
「ぜんぶ見てもらいたい。ぜんぶ伝えたい」

大切なものに対して思いが揺らぐと魂がもぎ取られる。ならば心を空にしよう・・・というのが、そなたの目指したオーロラライジングであり、完全型としてのかなめだった。しかし、大切なものを手にしたまま因果律の支配から逃れることのできたりずむは、そこからさらに「思いを伝える」という段階へと進んでいった。

友情も、因縁も、喜びも悲しみも、全てをオーロラの輝きへと昇華させ、そして思いを解放していく。神にも等しい力を手にし、全ての思いをあるべき場所へと還す。話の流れから、てっきりあいらの才能が全てを救う、みたいな展開になるのだとばかり思っていましたが、まさか当事者そのもののりずむによって圧倒的救済がなされるとは。本当にすごい。

おわりに

ここまで書くと、何だか自分はプリティーリズムを絶賛しているようにも見えてきますが、そういうことではなく。むしろ作品としてはひどい内容のことが多いです。特にキャラクターの描き方の行き当たりばったりさと言うか一貫性のなさというか、適当な描写にはシリーズ当初から不満に思い続けてます。

ただ、行き当たりばったりで適当に作ったモノが、ここまで心を動かす話になってしまうんだから、アニメの神様は時にとんでもない気まぐれを起こしなさるよなあ・・・。

*1:と、この時点では思い込んでいる