セイントオクトーバー ヨシュアと小十乃と罪の代償

コメントレスでエントリー上げることはほとんどないのですが・・・レスにかこつけてちょっと語ってみます。

kkk 『>クリスチャン(?)のヨシュアが前世
私も見ながら突っ込んでしまいました。
本物のクリスチャンではなくてファンタジーの中のキリスト教的ななにか、
ということで、自分をだましてみたり。

ヨシュアはダークな面を開放するのか楽しみです。
小十乃への偏愛はどうも犯罪の香りがします。
実は小十乃を誘拐してたりして。』

セイントオクトーバー 第15話「ロリ昔日!記憶のあなたに超会うために…」 - エネルギー吸収と発散

まずはコメントありがとうございます。

前半部分については、「ゴスロリ」というコンセプチュアルデザインをアニメーションの世界観として構成するためのユニットベースにまでブレークダウンした結果であり、既存のイデオロギーをクロスオーバーさせたアーティファクトとしての「キリスト教」のイメージである。

・・・と横文字レトリックでお茶を濁してみました。

それはさておき、ヨシュアの偏愛ぶりについて今まであまり触れていなかったので、この機会に少し書いてみます。素直に考えると、親を知らない小十乃がヨシュアに依存しているように、記憶をなくしたヨシュアがこの世界に求めた唯一の拠りどころが小十乃なのでしょう。変な例えをすれば「稟くんのお世話をするのが生きがい」な楓のようなもので、一人では何もできない小十乃のお世話をすることでアイデンティティを保っているのだと思います。
ただ、トラウマを抱えた楓とは違い、記憶を何もかも無くしたヨシュアがそこまでしてこの世界に居場所を求める理由は何か?と考えると、小十乃への偏愛ぶりにはまだ何かあるのではないか、端的にいえば恐らく何か潜在的なトラウマ、または罪の意識の代償行為なのではないかと思えてなりません。今までのエピソードで断片的に出てきたエッセンスを集約してみると、例えばヨシュアは前世に大きな業を抱えていて(妹を死なせてしまった、または凶悪な幼女暴行犯だった・・・など)、その罪の代償としてクリスチャンを模した姿で現世に生を受けている・・・という仮説が浮かび上がります。そしてジャッジメントである小十乃を守ることが現世でのヨシュアの贖罪ではないのか・・・。「誘拐」のお話はおそらく半分冗談でされているのだと思いますが、個人的にはあながち外していないようにも思えるのでした。

ヨシュアと小十乃の関係は、どちらかのバランスが崩れたときどちらかが壊れるという危うい共依存の上に成り立っていて、小十乃の成長(?)がそのバランスを崩しつつある・・・という話とか、小十乃はヨシュアに依存しつつも父親とは認められない二律背反とか、まだまだ語りたいことはあるのですが今回はこの辺で。機会があったら*1そのうち書きたいです。

*1:おそらく本編で伏線の回収に入るときが来るでしょうし・・・