俺の妹がこんなに可愛いわけがない 第03巻

面倒なのでラノベの感想は書かないでおこうかな、と思ったのだけど、そうすると内容が全然思い出せないのでメモを兼ねて書いてみることにする。
今までの話の感想は、断片的だけどこの辺・・・。基本的に、好意的なスタンスではないという感じで。

さてさて。まず思ったのは「厚っ!」という感想。2巻は京極夏彦かってくらい分厚かったけど、3巻も結構厚い。あとがき含めて325ページ・・・。ってあれ、手元の本を適当に比べてみても、そんなにページ数多くないな。電撃文庫は紙自体が厚いのか。

外見の感想はこの辺にして。この巻は、どうやら4章仕立てになってるようで。なので順番に思い出しつつ感想を書いていこうかと思います。


まずは第1章。桐乃と黒猫がアニメを見たりするお話。ここで桐乃のケータイ小説とか黒猫の中二同人誌とかが出てくるんだけど、その辺はあくまで伏線レベルにとどめて「萌えオタVS腐女子」的なアニメ対決がメインになってる感じですね。

この2人のアニメ評がまた、ひどいんだ・・・。2chとかアニメ系ブログのテンプレートみたいなことを喋ってるだけで、この子らのパーソナリティを踏まえたアニメ観というモノが全然見えてこない。よく、この手の小説の批評として「オタクである自分自身を美少女に投影」だの「肯定欲求」だの「歪んだナルシズム」だのと仰る方がいらっしゃいますが、こんなテンプレートなキャラのどこに自分を投影するのって話だよね。これは自己の投影ではなく、シンボル化したオタクのパロディーであり、そんなオタクと美少女とのギャップに萌える作品でしかないよ。実際この子らは、少なくともアニメの話の内容自体はテンプレートの域を出ないし、その意味で「作者が自分の言いたいことを美少女に言わせてる」とも思ってないです。

「桐乃は僕らの代弁者なんだ!」みたいなヘンな誤解をせずにそのまま受けとれば普通にかわいい子だと思うし、多くの人はそういう消費の仕方をしてるのでしょう。黒猫たんかわいいよ。


第2章は幼なじみの田村麻奈美さんとイチャイチャする話。この手のどうでもいい話が一番なごむわーと思いつつ、鈍感すぎる主人公にイラついたりもする。おまけに京介の野郎、さり気なくこんなこと言ってたりするんですよ。

ゲームにしろ、マンガにしろ、アニメにしろ。どんなに追求したところで、社会に役立つようなもんじゃない。大事な時間を無為に削ってしまう、生産性のない遊びだ。
だが、だからこそ、そこには変換の利かない価値があって、多くの人々を熱中させているわけだ。

桐乃や黒猫の薄っぺらいアニメ話は「そういうキャラ設定だ」と思ってるから特に何とも思わないけど、主人公のこういう台詞は作者の意見であり作品のテーマだと考えていいんだよね。

「無駄だからいい」とか、どっかで拾ってきたような台詞を作品のテーマにされちゃたまらないよ。少なくとも俺は、アニメを無駄なものだとは思っていないよ。無駄だからアニメが好きなんじゃない。ただアニメが好きなだけ。そして、アニメから得られるフィードバックは自分自身を構成する血肉となってるんだよ。どこにも無駄なものなんてない。

自分の話を抜きにしても。勉強や部活やモデル活動にあれだけ努力した上で、アニメやエロゲーを力いっぱい楽しんでる桐乃を間近で見ておいて、よくもまあ「楽しい暇つぶし」みたいな台詞を吐けるよなあ・・・。作品に閉じた範囲で考えても、いかに作者がアニオタというのを表面でしか捉えていないかということがよく分かる。


第3章。桐乃がお兄ちゃんと渋谷でラブラブデート。ラブホまで行っちゃってドキドキ!みたいな。渋谷はライブハウスの隣にラブホがあったりするからなあ・・・。桐乃の作家魂とお兄ちゃんラブが微妙に衝突してた気もするけど、まあ可愛いからいいか。


第4章。色々と伏線を張ってきたところで、今回のメインストーリーと言ったところでしょうか。実はこのお話は素直に楽しかった!

やはり黒猫たんのラブリーさに尽きるでしょう。創作に懸ける思いを語る黒猫に感情移入しかけたところで、黒猫たんが「ぷーりん」こと熊谷龍之介さんに2時間も3時間も酷評されるわけですよ!そりゃあ誰だって泣いちゃうよね・・・。さすがにこのときばかりは、ぶち切れた京介に「よくぞ言った!」と思ったね。俺が隣にいたら同じことしてたね。その時の黒猫にとってしてみれば、何年も頑張って勉強して、愛情を込めて書いた作品が「全然使い物にならない」みたいに言われたら、自分自身を否定されたと思っても無理はない。

黒猫ならずとも、締め切りのある何がしかの文章を書いて、それをレビューしてもらいながら仕上げていく経験は多かれ少なかれ大抵の人は経験してると思う。うちの感想みたいに、誰からもダメ出しされることなく好き勝手書いてる文章とはまた違うんだよね・・・。

それほど打ちのめされながらも、最後は熊谷さんに嫌味を言えるくらいに立ち直って、フェイトちゃんに説教までしてしまう黒猫はすごいわ。

黒猫たんの視点で感情移入すればそんな感じになるんだけど、熊谷龍之介氏のキャラクターに妙な重みがあったのも否定できない。「俺の黒猫たんをいじめやがって!」と思いつつも、その一言一言に説得力を感じずにはいられませんでした。

熊谷さんの言葉は綺麗事かもしれない。ただ、その綺麗事は嘘のキレイさではないと思った。物事に綺麗な部分と醜い部分があるのは当然で、ここではその綺麗な部分だけを取り上げたんじゃないのかな、と思うのです。綺麗事だけど嘘ではない。だからこそ、その言葉に重みを感じてしまうのでしょうか。

もちろん、本当に本気で作家を目指してる人、もしくはプロの作家さんから見ればそんなものはリアルじゃない!って思うのかもしれないですね。俺だってアニオタを一部分だけ切り取って全体のように語られるのは腹が立つし。このエピソードが楽しかったのは、小説を書いて編集部に持ち込みをするという活動が自分にとってリアルじゃないからなのでしょう。

熊谷さんと言えば・・・。黒猫を延々と酷評するシーンは悪役のように書かれてるけど、それはつまり同じ時間を掛けて黒猫の作品をチェックしたということ。いくら断り切れない頼みだからと言って、どシロウトの作品をそこまで丁寧に読み込むのはすごいことですよ。それは熊谷さんのプロとしての誠実さでもあるんだよね。そういう思いを敢えて全面に出さず、京介&黒猫の視点で統一したストイックさはよかったです。

そしてこのエピソードではスーパーチートガールの桐乃を外すことで、「努力しても報われない」ということについてかなり掘り下げていたのも印象的だったな。努力なんてものは宝くじを買うようなものだと俺は思ってて、努力して成功するってのはそれ自体が超ラッキーなことなんだよね。だからこそ、どんなに努力しても報われることのない「その他大勢」にスポットを当てたエピソードは、凡人の一人として心にくるものがありました。

*1:3巻まとめて・・・と書いてあるけど、実は4巻も買ってあった・・・