H2O 〜FOOTPRINTS IN THE SAND〜 第07話「ほたる」

神楽ひなた、小日向はやみ・・・小日向ひなた・・・久々に見ると*1混乱するな。
今回はひなたのお当番回3話の感想でも予想したのですが、やっぱりひなたの本当の名前はほたるで、「ひなた」の死とともに「ひなた」として生きることを強制されたということらしい。3話のサブタイ「ひなた」と対をなす「ほたる」のサブタイが象徴的だなあ・・・。
名前を奪われるということは存在を奪われるということ。偽りの名前が偽りの存在だとすれば、ひなたにとって大切な人ができるほど、その人が呼ぶ偽りの名前はひなたの・・・・・・ほたるの存在を希薄にしていく。はやみとの仲が深まるほど、その意識はひなたを苛み続けるのでしょう。
大切な人の前では本当の自分でいたいという思いと、村やお爺様の思い。ただ、ひなたはすでにはやみと一緒にいることを選んでいるんだよね。それは、自分の幸せを求めることを選んだわけで・・・。そして今回、またひとつ幸せを掴み取ったのでした。
お話は想像通りだし、展開はご都合主義なんだけど、なんだろ、なんと言うか、様式美みたいなものを感じてしまうのかな。今までの話でひなたのキャラを少しずつ立ててきたのが今回のお話に繋がってるのもよかったです。Bパートで「ひなたちゃんはxx」という字幕が出るシーンは好き。
ラストシーンでいきなり「わたしはほたるです!」とか言い出して、みんなも早々に定着してたけど、ちょっと待ってよ、俺はすごい違和感あるよ!?

  • はやみたんはツインテールが定着するのかなあ。結ばない方が好きなんだけど・・・
  • 音羽が「ひなた」に似てるというのはどういうことなんだろう。
  • ほたるが「ひなた」に成り代わったのなら、ボクっ子にしたらどうかね。
  • 琢磨・・・受け売り(笑)

追記

ところで。今回少し不思議だったのは、ほたるが「ひなた」として生きることを選んでからのお話。「ひなた」として生きることで、「ひなた」としての名声も引き継いだことになるのだろうけど(もちろん本人の努力もあるでしょうが)、今まで叱られ続けていた自分が褒められる対象になったことによる快感みたいなものは感じなかったのかな?「神楽ひなたはいい子でなければいけません」という言葉は、「神楽ひなたでいる限り自分は褒められ続ける」という意味にも取られないだろうか。また、名声だけでなく、「神楽ひなた」という名前自体の持つ権力とか、そういった神楽家の権力を行使する快感はなかったのかな・・・?
何がいいたいかっていうと、「ひなた」として生きることは、ほたるにとって必ずしも苦痛だけではなかったのではないか、ということ。その辺の葛藤を含めてもう少し掘り下げて見たかったなと思いますが・・・まあ、あまり掘り下げすぎてもアレなのでしょうね。見たい人もいないだろうし。

*1:上の感想は結構前に書いたものです