ARIA The NATURAL 第17話「その 雨降る夜が明ければ…」

前回、「それほど古いゴンドラなら、灯里よりもアリシアさんの方が思い入れあるはず」という感想が結構ありました。読んだときは「確かにそうかもねー」くらいしか思ってなかったけど、今回それがアニメとして語られるのを見た瞬間、唐突にひらめいた!前回の違和感の正体は、「灯里に思いいれなど存在し得ない」ということだったのです。

奇しくも直前の15話で語られていましたが、アリシアさんにあって灯里にないもの、それは思い入れでありAQUAの歴史。15話のラストは「これから皆で思い出を作っていこう」ということであると解釈すれば、灯里にAQUAの思い出は存在しないということになります。

灯里本人について考えてみると、灯里はAQUAに来たばっかりで何も知らない。何の思い入れも先入観もない灯里だからこそ、日常のちょっとした変化や見落としがちな美点に気づくことができたはず。そんな灯里がアリシアさんの言う「ARIAカンパニーの歴史」であるゴンドラに思い入れを持つことは、灯里の持つイノセンスを否定することにはならないでしょうか?AQUA(=藍華アリシアさん側)と視聴者の中間に立つはずの灯里が、AQUA側に入ってしまうことにはならないでしょうか?

今回、アリシアさんの口から直接ゴンドラに対する思い入れが語られましたが、やっぱりその台詞は灯里のそれより何倍も重く、心に響きます。そしてそれは、現在のアリシアさんの完成された姿とAQUAへの思い入れを知っているからこそだなんだと思います。

ただこのアニメがすごいと思うのは、前回の灯里がそのまま今回のアリシアさんの思い出を語る伏線になっていると言うこと。アリシアさんと灯里が全く同じエピソードを共有することによって初めて、見ている俺は灯里を通してアリシアさんの心にアクセスできるのです。「あらあらうふふ」ばかりであまり自分の心を見せないアリシアさんですが、灯里を媒介にすることで自然に自分の心を打ち明けてくれるのでした*1

そんな感じで、相変わらず灯里にはあまり感情移入できない今回でしたが、アリシアさんの思い入れは十分伝わってきました。それは灯里を通して初めてこっちに伝わる気持ちなんだと思うし、そういう意味で灯里は十分その役割を果たしたと言えるでしょう。

にしても「雨降花」の使い方は反則だよなあ。あれは雰囲気だけで感動できますね。

追記

灯里、前見ろ前!

*1:いきなりアリシアさんが自分語りし始めたらおかしいでしょ?