Fate/stay night 第22話「願いの果て」

地下室で士郎が見たものは、ギルガメッシュの食事に供された子供達。そしてその子供達は、10年前の火災の生き残りだった・・・。切継のところへ行くか、教会へ引き取られるか。何気ない士郎の選択が天国と地獄を分けるものだったとは、一体誰が知りえようか。

そこまでの犠牲を、自分が踏み台にしているものを知っていながら、それでもやり直しを選ばなかった士郎。

「どんなに痛んでも、癒されない傷であっても、この道は間違ってないって信じてる」

そんな士郎の決意は、そのままセイバーへの想いであった。そしてセイバーに問われる最期の試練。

「聖杯が私を汚すものならば要らない。私が欲しかったものは、もう全てそろっていたのだから」

多くの民を犠牲にし、実の姉までもその手にかけたせイバー。やり直しを求める気持ちがないといったら嘘になる。しかしそれでも前に進もうとする強さ、それは士郎が与えてくれたもの、そして今目の前で見せてくれたものであった。

最期の試練を乗り越え、最終決戦へと挑む士郎とセイバー。二人を待ち受ける結末は一体どうなるのだろうか・・・

追記

いつもと趣向を変えて、原作ネタをちりばめつつ、思い入れたっぷりにザ・サード風ナレーションにしてみました。

今回、セイバーはあっさりと「聖杯はいらない」と言いましたが、実は士郎の好感度が足りないとセイバーに殺されてしまうのです。もちろんセイバーが裏切るわけはないのですが、彼女の心に芽生えた一瞬の迷い。それが士郎を貫く剣となってしまったのです・・・。このシーンはぜひゲームで体験してもらいたいなあ。

上で引用した台詞。特に士郎の台詞は、衛宮士郎という存在を象徴する名台詞だと思います。

にしても、アーチャーといいランサーといい、いい男は早く死んでしまう・・・。

ちなみに言峰のいう聖杯解釈。実は彼の解釈は一部で正しく、本質的に間違いだったりします。彼は単なる教会の人間にすぎないわけで、聖杯の真実を知るのはその製作者であるアインツベルンだけなのですよ。この辺は桜シナリオをやると聖杯戦争の裏側を知ることができるのですが・・・。セイバールートにおいて聖杯自体はあまり意味を成さないんです*1。セイバーにとって聖杯がどういう存在であるか、そして士郎にとって聖杯とは何か、という概念的なシンボルに過ぎず、セイバーシナリオの本質は王道なまでのボーイミーツガールなのです。

・・・と語りだすときりがないので、残り2話、気合入れて見ることにします。

*1:そもそも壊しちゃうし