フタコイ オルタナティブ 第08話「サはさよならのサ」

感想書かないと大見得切っといてなんですが、やっぱりなんだかんだでコメントしたくなるアニメだなあ。

さて。1話のインパクトもそうだけどさ、今まで散々ほかの双子を見せることでギャルゲー方法論の限界に挑んで来たのか*1って思ってたんだけど、実のところは何と言うこともない、頭の悪い俺にでも予想できるような展開でした。「どうせ結婚しなきゃいけない、とかだろ?」って思ってたらまさか本当にそんな展開とは・・・。

うまく言えないんだけど、今までは恋太郎をめぐる、沙羅と双樹の双子ならではの微妙なバランス感覚が主題になってるんだと思ってた。でも実はそうじゃなくて、恋太郎が沙羅双樹に対してどうしたいのか?っていうのが主題になってるってことだよね?じゃあ、別に沙羅双樹という「双子」の必然性はまったくないわけで。なんだかなーと思ってしまうわけですよ。

中身のない話を圧倒的な映像と演出で押すってのは好きなんだけど、そこは「話がない」ということを認めた上でのことであって、話がないのに思わせぶりな演出と小手先の言葉遊びのレトリックで、いかにも「深い話があるんですよ」みたいにごまかしてる感じがしてしまって。それは単に俺の期待した水準と実際の水準に開きがありすぎただけで、相対的に見ると水準以上の出来ではあるんだけど・・・。

これは一度気持ちのリセットが必要だなあ。

で、ようやく本編の感想。

うーん。俺が乗れてないだけかもしれないけど、沙羅双樹が「自分を全部捧げてもいい」と思わせるような魅力を恋太郎には感じられないんだよなあ。沙羅双樹は彼のどこを好きになったんだろ?恋太郎が何かしてあげたとすれば、最初の出会いの時くらいじゃない?

http://youkan.s31.xrea.com/d/anime/futakoi208.htm

そもそも白鐘姉妹が屋敷から逃げ出して探偵事務所に入り浸って「自分で未来をつかもう」としているのは、反抗期の行動のようで、単なる逃避で恋太郎を選んでいるような説得力の弱さを感じてしまう。

おお・・・。俺の中のモヤモヤした気持ちが文章の形になっている!モラトリアムというなら恋太郎もまさにそうで、そんな3人が惹かれあう、というのは納得できるけど、それを「ちゃんとした恋愛話なんですよ」とごまかそうとするやり方はどうも納得できない。別にモラトリアムでいいじゃん。

そんな3人の絆の象徴をセックスに求めてしまうというのは視聴者に対するサービスにしか見えないし、随所に見られるサービスシーンにもなんか製作者の照れというか、保険というか、視聴者へのご機嫌伺いみたいなのが見えてしまってどうもイライラしてしまう。やりたい話があるのなら堂々とやればいいじゃん。話の流れをぶった切ってまで視聴者に媚びてどうするの??それともこれが異化効果ってやつなんでしょうか?そもそも恋太郎と沙羅双樹って、セックス以前の幼稚な関係*2にしか感じられないんだよなあ・・・。だから余計違和感を感じてしまうわけで。

「絆=セックス」の安易さは16歳の女の子っぽくていいのかもしれないけど、仮にも20過ぎの恋太郎までそれに乗せられてるのはいかがなものか。彼女たちが欲しいのはセックスじゃないってなんで分からない?「抱き合って一つになって、それでなんか変わるのかよ」という台詞からも、彼は何もわかってない。「戯言を・・・何かを変えるためにセックスする者がどこにいる*3」ですよ。彼女たちの本当に欲しいものに気づけるかどうか、それは俺には分かりませんが、この物語に解決があるとすればそこにしかないような気がします。

「彼女たちのいずれかと、結婚しなければならない」という公彦さん。「結婚する」ではなく「しなければならない」という、ちょっとした語尾で公彦さんの気持ちを表現してるのはうまいなあ、とおもいました。

追記

1時間半もかかってしまった。でも言いたいこと言ってすっきりしたー。罵倒コメントは甘んじて受ける覚悟です・・・。

*1:バトルモノにしたりとか、桃衣姉妹の話とかさ

*2:悪い意味ではなく、動物とじゃれあうみたいな、または仲のいい子供たちみたいな関係ということで

*3:ハンガリア侯。http://d.hatena.ne.jp/kkobayashi/20050520/p2