ソ・ラ・ノ・ヲ・ト 第04話「梅雨ノ空・玻璃ノ虹」

カナタちゃん、くちびる腫れてるの?どれどれ、もっとよく見せてごらん・・・?


さて!変態的な感想から始まってしまった今回は、ノエルのお当番回ってことでいいのかな。カナタの絶対音感タケミカヅチのレンズの複製を手伝うという流れは面白かったです。ノエルさん、戦争について何やら思うところがあるようですが・・・両親を殺されたとか、そういうこと?その辺りも追々明らかになっていくのでしょう。

せっかくのノエルのお当番回だったのですが、話が発散してしまって結局何の話か分からなくなってしまったのは残念だったな。ノエルの戦闘に対するトラウマを描きたいのか、ノエルとカナタが仲良くなるシーンを描きたいのか、カナタが落ち込んで立ち直る様子を描きたいのか・・・。それぞれが繋がってるならまだしも、30分の中にバラバラに撒かれてるから、「まあ、それはそれで」みたいな印象しかなかったなあ。

「昔、人を殺した機械は、やっぱり怖いと思う?」

ノエルのこの問いに答える言葉をカナタは持たない。であれば、このシーンで大切なのは、カナタとノエルの信頼関係を確認するってことだよね。言い換えれば、その前に何らかのエピソードがあることをふまえてのシーンじゃないの?それなのに、このシーンのカナタの回答そのものに意味があるように描かれてるから混乱しましたよ。「タケミカヅチは人殺しの戦車だけど、楽器としてはいいよね!」って答えになってるの?じゃーノエルが直す必要ないじゃん。

あと、ガラス職人のカール親方の台詞。

「才能っては、諦める奴の最低の言い訳だ」

「嬢ちゃん、無理やり音を作ろうとしてねえか?」
「俺はこういう形にしようとしてるんじゃねえ。ガラスがな、こういう形になりたがってるんだ」

確かに正論だけど、この文脈においてはどうだろう・・・。それって、言葉を変えれば「才能」と何が違うの?

スタッフは、綺麗な言葉と綺麗なシーンを並べれば視聴者なんて感動しちゃうんだろ、とか思ってない?逆に言いたい、キャラクターに無理やり演技させてないかと。吉野弘幸の脚本は、キャラクターの声を聞かずにストーリー構成に都合のいい台詞を喋らせてるだけのような気がして、あまり好きになれない。キャッチーさを引き出すのはすごくうまいのになー。真面目な話になると・・・。