とある科学の超電磁砲 第09話「マジョリティ・リポート」

Bパートの黒子はかっこいいなあ。久々に「ジャッジメントですの!」も聞けたし。

レベルアッパーとは曲そのものだったらしい。再生機器に依存しないみたいなので、曲の中にそういう成分が含まれてるんだろうか?だとすればコピーしまくれるわけで、高値で取引される理由がよく分かりませんな。


まあ、それは置いておいて。佐天が段々ダークサイドに入り込んでいくようで、見ていて辛いですね。

「あたしと同じ中学生で、あたしと同じ年齢で、あたしと同じ女の子なのに・・・あたしと違う世界に住んでいる人がいる」

佐天がレベルアッパーに手を出そうとするのはコンプレックスによるものだと思っていたけど、どうやらそう単純なものではないらしい。無力な自分に対する劣等感というのはもちろんあるんだけど、幼い頃に夢見た力への憧れだったり、友達と同じ世界に生きられない疎外感だったり、色々複雑な感情が見えてきました。

「だ、だってほら、あたしだけ、事件とかそういうの関係ないじゃないですか」
ジャッジメントじゃないし」

やはり一番大きい部分はこれなのかな。初春や黒子はジャッジメントとして頑張ってて、美琴は最強無敵の電撃姫・レベル5の能力者で、自分だけが何の能力も肩書き持たない一般人。美琴は「レベルなんて、どうでもいいことじゃない」と言うけど、それはレベル5のあなただからそう思うだけ。レベル0の自分の気持ちを分かってくれる人なんていない。親友の初春ですら、自分と同じ視点で話すことはできない。

そんな佐天の手に今、レベルアッパーがあるんだよ。力があれば、他人を守ることができる。自分にどんな能力があるのか知ることができる。そして、大切な友達と同じ世界で生きることができる・・・。

この誘惑に抗える人間なんて、どれだけいるだろう。あとは背中を軽く押す手さえあれば、佐天がレベルアッパーに手を出すのも時間の問題だよね。でも、俺には彼女を責めることなんてできない。それは誰だって持ってる当たり前の欲望で、ただ普通の人には実現のチャンスがないと言うだけなのだから。



さて。本当なら、ここで「佐天がパーソナルリアリティ=『なりたい自分』に目覚める」みたいな話を続けたいところなのですが、うーん、何となくそういう方向に思考を持っていきたくはないんだよね。それは結局、超能力者世界における超能力者の優位性をなぞるだけ。「禁書目録」の焼き直しをすることに意味はないし、そんな展開はイヤだ。

かといって「佐天が本当に欲しいものは力そのものじゃない」とベタな読みを入れるのも違う気がする。気の持ちようで世界のあり方が変わるというのも、ある意味では「パーソナルリアリティ」なのかもしれないが・・・。そこまで明確に超能力を否定するのも作品世界への冒涜と思うし。

個人的な希望を言えば、佐天のコンプレックスは明確に具体的な形で解決して欲しい。つまり、レベル0からレベル1くらいにはなる。ただ、その能力が「女の子のパンツが見える」みたいなどうでもいいモノなの。で、「あれだけ苦労して、こんな能力なんて・・・。でも、それがわたしの能力なんだ」みたいな感じで何となく前向きに終わるの。折衷案っぽいんだけど、そういう中庸さが現時点での「超電磁砲」のよさだと思うんだよね。まあ、今後の展開でガラッと変わりそうではあるのだけど・・・。



再び話は変わって。このシリーズで面白いのは、佐天のコンプレックスを煽るネタは全て自分の内面から出てるってところ。クラスメイトにレベル0をバカにされるとか、初春や黒子に嫉妬心を抱くとか、他人に理由を求めるのが普通だと思うんだよね。でも、そういう場面がほとんど見当たらない。それは佐天という子の本質的な美徳であると同時に、本作品における「力」の意味を暗示しているようにも思えます。

追記

そうなんだよなあ、自分で「レベル0の自分の気持ちを分かってくれる人なんていない」なんて書いて気づいたんだけど、佐天には誰も味方がいないんだよなあ。初春は自分のことでいっぱいいっぱい、黒子は佐天を悪漢から助けて満足、美琴は見当違いのフォローを入れる・・・。佐天さんが何に傷ついていて、何を欲しているかを分かっている人が誰もいないんだよね。
黒子と美琴初春と黒子は深い部分で繋がれた絆がある。でも、佐天はどこにも繋がってない、宙ぶらりんの状態。今回は、佐天の孤独感を浮き彫りにするエピソードでもあったのかもしれません。