しゅごキャラ!! どきっ 第100話「誕生!2つのキャラなり!」

前半はイクトの思い出話、後半はあむちーの新しいキャラなりのお話。

女の子は戦う男の子の傷を癒す・・・って、「DearS」「ローゼンメイデン」「ZOMBIE-LOAN」と戦う女の子を描き続けてきたPEACH-PIT先生とは思えない薄っぺらさだなあ。個人的にはあまり同意したくない。

大体、「男らしさ」「女らしさ」ではなく「自分らしさ」が本作のテーマではなかったの?あむちーは「女の子として」イクトを助けたかった?そうじゃないでしょ。もちろん女の子としてイクトに惹かれる気持ちがあるのは確かなんだけど、男とか女とか、そういうものも全部ひっくるめての「なりたい自分」であるはずだし、性差を超えた「なりたい自分」を象徴したのが、なぎひこ=なでしこというキャラクターではないの?

ここで女の子論を持ち出すこと自体は否定しないけど、なんかこれじゃ、あむちーのキャラがあまりにも薄っぺらに見えてしまって。この子は100話も何をやってたの?と思ってしまうのですよ。

追記・・・

・・・うーん、せっかく100話目の感想だから、もうちょっとイイ話をしたいな。きら☆レボアニ横くらいしか100話目の感想なんて書いてないし。

ダイヤさんが出てきたところで、ちょっとダイヤの話でもしてみますか。

ラン・ミキ・スゥの3人に対してダイヤはメチャメチャ優遇されてる。しゅごキャラのくせに、たまごから出たり入ったりして気まぐれな感じだし。そもそも、ダイヤはどういった「なりたい自分」なんだろうか?という部分も明確には示されてないよね。

ここでラン・ミキ・スゥを考えてみる。あむちーは運動はそこそこできるみたいだけど、芸術センスはなし、料理もダメ。つまりこの3人は、あむのコンプレックスの裏返しから産まれた子。とすると、ランは「運動ができる子」というより「素直で天真爛漫な明るい子」としてのキャラなのでしょう。

それに対してダイヤは、あむの中にある「光」というか、一緒にいる人に希望を与えるような、前に進む力をくれるような、そんな輝きを体現したキャラに見えます。つまりそれは、この人を救いたい、力になりたいという純粋な思い。・・・あるいは、願いと言った方が近いのかもしれません。

そういった違いが、ダイヤを特別な存在に見せているのでしょうね。