けいおん! 第09話における梓の心象風景

なんか「心象風景」もシリーズ化してる感があるような・・・。本編の感想で書けなかった分を後付けで補完してるってだけなので、本当はシリーズ化すること自体がよくないのですが。

さて、9話の本感想はこちら。この話は、普通に見たら何もひっからずに流してしまうお話なんだと思う。軽音部のメンツは普段ダラダラしてるけど、やればできる子って言うのは分かるし*1、4人の仲のよさが音楽的なハーモニーを高めてるってのも分かる。今回のお話をあずにゃんの軽音部への視点として捉えるならば、憧れから失望を経て、魅力を再認識するっていう流れはとても綺麗にまとまっていました。

ただ、軽音部への印象の変化は分かるけど、梓本人の意思はどうなの?あなたは何を求めて軽音部に入ったの?という点を考えると、どうにも解せない。詳しくは下の方で書くとして、本編内で明確に「仲良し」を否定しておきながら「4人揃うといい曲になる」と最終的には仲良しを肯定するような発言に至るのはやっぱり不可解なのです。

もし、初めは「仲良し」を否定していた梓が最後には「仲良し」を認めたとすると、それは彼女の価値観が変化したと言うこと。でも、自分の中ではそういう話じゃないと思ってる。なぜなら梓は最初から軽音部に憧れて入部しているわけで、その内面の核となる価値観は一貫してぶれていないはずだから。

つまり、梓は何を求めて軽音部の扉を開いたのか。外から見るわけでなく、自分も軽音部の一員として活動することに何を期待していたのか。根本的なその部分は終始一貫しているはずで、それを解き明かすことが今回のお話を解釈することに繋がってくるのだと思います。

そんなわけで。働かない頭を必死で回転させて考えていたのですが、ふと思い出した「トモダチからナカマへ」というフレーズが一番納得できる解釈かも。梓が欲しかったのは「トモダチ」ではなく「ナカマ」だった・・・と考えて本編をリプレイしてみると、梓の思いや行動に秘められた意味が見えてくるような気がします。

このフレーズは「がくえんゆーとぴあ まなびストレート!」の5話で出てきてて、作品全体の象徴になっています。自分なりの解釈はこの辺にまとめてあるので、詳しくはそちらを。

初回を見たときにも「まなびストレートっぽいな」と思ったのだけど、思わぬところで共通点を再認識してしまうのは面白いなあ。ぱっと見の印象じゃなくて、考えた挙句たどり着いた結論が同じってのが面白い。

反転する「仲良し」の価値観

ゆるい萌え4コマと、熱い青春モノ。相反する要素を、賛否両論交えながらも曖昧に共存させてきた本編が、梓という第三者の存在によって大きくバランスを変化させます。

唯たちの視点から見ると萌え萌えでゆるゆるな居心地のいい空間が、梓の視点から見ると無気力でだらしないものに映ってしまう。やる気マンマンで軽音部に入ってきた梓と、相変わらずゆるゆるな唯たちとの温度差が生み出すピリピリした空気を感じさせられました。

澪の目を通して似たような空気感があった4話みたいなお話もありましたが、何だかんだ言って澪は身内なんですよね。練習しない律たちに文句を言いながら、自分も海に遊びに行っちゃったりして、本格的な確執には至らないのです。

「・・・はっ」
「ダメになる、このままじゃダメになる!」

梓のこの台詞が象徴するように、今回のお話において今までのゆるい馴れ合いの空気は明確に否定されてることが分かります。もっとも、これは梓自身が「ゆるい馴れ合い」に引きずられつつあることを感じたシーンでもあるのですが・・・。

梓の抱える「孤独」

すぐ上に書いたように、文句を言いながらも馴れ合いを受け入れつつある梓。その根底にあるものは、彼女の抱える大きな孤独でした。

聞く人が聞けばすぐに分かってしまうほどのテクニックを持ちながら、「やっぱり聞き苦しかったですよね」と全くそれを自覚していない。おそらく梓は、今までずっと一人でギターを弾いていたか、もしくは同年代の子と比較されることがなかったのでしょう。

どこかオドオドして内気っぽいイメージも、対人のコミュニケーションに慣れてないような印象を受けるし*2

軽音部に愛想を尽かした後、ライブハウスにメンバーを探しに行ったりするところから考えても「じゃあ一人ででも演奏するよ!」という選択肢が梓の中には存在していないように思えます。

梓は、どうして今までのように一人で演奏するのではなく「バンド」という形にこだわったのか。今回のお話を考える上で、その点も重要なポイントであるような気がします。

梓が本当に欲しかったもの

仲良しグループを否定するようなことを言いながら、孤独な自分が好きなわけでもない。一見すると、梓の感情は非常に矛盾しているように思えます。じゃあ、その感情の核として存在するもの、真に欲しいものとは一体何だろう?と思うのですよ。

それについては、澪がかなり核心に迫る答えを教えてくれています*3

「やっぱり、わたしはこのメンバーでバンドするのが楽しいんだと思う」
「きっとみんなもそうで・・・だからいい演奏になるんだと思う」

「まあ、これからもお茶飲んだりダラダラすることもあると思うけど」
「それもやっぱり必要な時間なんだよ」

これを聞いて「あずにゃんは仲良しグループを否定していたけど、実はそれは大切なことだって知ったんだね、めでたしめでたし」で終わっちゃう人はアニメ見るの向いてないよ。

・・・というのはウソだけど、何にしてもそこは本質じゃないと思うのです。

  • 「それ"も"やっぱり必要な時間なんだよ」
  • 「それ"が"やっぱり必要な時間なんだよ」

と一文字置き換えて比べてみると分かるけど、「それ"が"」ではなく「それ"も"」ってことは、お茶飲んでダラダラすることは二義的なものであって、本質的なものは別のところにあるってことだよね。それを掴むには、ファーストインプレッションである新歓ライブで梓が何を感じたか?という部分を考えなければいけないでしょう。

で、結局スタート地点に戻るのですが・・・。仲良しグループを否定しつつも、仲良しグループである軽音部の演奏に惹かれる梓の感情を矛盾なく説明するキーワード。そんなものがあるのだろうか・・・?と弱った頭を捻ってようやく思いついたのが、上に書いた「トモダチからナカマへ」というフレーズ。

梓が軽音部の演奏に惹かれたのは、仲良しグループだったからじゃない。9話の本感想でも書いたけど、馴れ合いから真の感動なんて生まれるはずはない。

「さ、一緒にやろう、梓!」
「っ・・・・・・はい!わたし、やっぱり先輩方と一緒に演奏したいです!」

梓が欲しかったものは馴れ合うための「トモダチ」ではなく、同じ方向を目指し互いに支え合う「ナカマ」だった。

そう考えると、澪の「一緒にやろう」という台詞は今回のエピソードを象徴する言葉*4。孤独だった梓が本当に欲しかったものは、ネコミミでもケーキでもなく、この差し伸べられた手だったんだよね。

最初の新歓ライブで漠然と感じていた憧れのようなものを、退部を決意して入った音楽室で再認識する。梓がどこまで自分の感情に気づいたのかは分かりませんが、仲間として信頼しあえる絆の大切さに少しでも気づいたからこそ、演繹的にある程度の馴れ合いを許容することもできたのです。

しかしまあ・・・

改めてじっくり見てみると、あずにゃんかわええのう・・・。ネコミミがこんなに似合う子が今までいただろうか!

*1:唯は元々天才肌だし

*2:偏見ですかね

*3:余談ですが、今回の澪は、梓を導く先輩としての役割がすごくよかったですね

*4:この台詞がアニメオリジナルである、という点も大きな意味を持ってると思います