ef - a tale of memories. 第11話「ever forever」 その2

ef - a tale of memories. 第11話「ever forever」 その1 の続き。

「ふざけるな」

今回の話を見終わったとき、俺の頭の中を埋め尽くしたのはその一言だけ。見ている最中は千尋かわいすぎるとか千尋死んじゃダメとか色々考えていたのですが、見終わった瞬間は同じ思考がループし続けて何も考えられなくなっていました。

「わたしと一緒にいたら、蓮治くんが、これからもずっと辛い思いをすると思います」
「そんなの、わたしはイヤです」

蓮治を不幸にしたくない?何言ってんだ、だったらどうしてデートしたりしたんだよ。キスしたり、セックスまでしたんだよ。蓮治へのお礼のつもりだった?そうじゃないだろ。

「せっかく今日のわたしがここまで来れたのに、また遠くにいるみたいに扱われるのはイヤです」

今の自分が蓮治を好きでいるうちに、消えてしまう心の記憶だけでなく、一生消えない身体の記憶として蓮治の存在を残したかったんじゃないの?蓮治のことを忘れたくないけど忘れてしまう自分が嫌だったんじゃないの?

もっと言ってやろうか。小説は千尋そのものだとすれば、小説を書き終えた千尋は12歳という範囲の草を食べ尽くした羊。そんな「何もない自分」を蓮治に見られたくなかったんじゃないの?何もない自分から蓮治が離れていくかもしれないと思ったんじゃないの?蓮治のためを装いつつ、自分が嫌われるのが怖いだけなんじゃないの?だから、小説が完成する前の自分の、最後の思い出として蓮治とデートしようとしたんじゃないの?
それがふざけんなって言ってんだよ。もっと蓮治のことを信じてやれよ。そして、もっと自分自身を信じてやれよ。どうして「自分は何もできない」なんて言うんだよ・・・。

閑話休題

感情的に書いてるうちに泣きそうになってきた。少し落ち着こう。

「わたしと蓮治くんは明日、一日だけ恋人です」

一日だけの恋人。それは千尋と蓮治にとって最高の、そして最後の一日の始まりだった。その時点で千尋はすでに自分を消す気持ちがあったようで、おそらく小説のラストを書いた時点でその覚悟をしていたのかも知れません。
4話の感想でも少し書きましたが、千尋の夢=小説は、過去の千尋と現在の千尋を繋ぐ絆。夢を現実としてしまった瞬間に絆は消え、過去と現在は切り離されて、千尋の言葉を借りれば「草を食べ尽くしたら死んでしまう羊」になってしまう。そんな千尋が未来に希望をなくして、自分を終わらせようとすることは想像に難くないでしょう。
でも、だったら屋上から飛び降りればいい。小説のように、思い出を全て捨てて最後に残った自分も崖から捨てればいい。どうして蓮治と出会った日からの日記を、蓮治と出会ってからの自分だけを捨ててしまったのか・・・?
蓮治と出会ってからの自分は12歳までの夢を叶える自分。永遠に12歳を生きる自分。千尋がそんな今までの自分と決別したのは、12歳から先を生きることを決めたからではないでしょうか。なぜなら、千尋は決して未来を諦めたりしていないから。確かに過去の自分を捨てたけど、未来の自分は捨てていないから。

「そんなこと、言ってはいけません」
「明日は今日より、いい日かもしれないじゃないですか」

もしかしたら、それは蓮治に与えられた最後の試練。本当の意味で新しい千尋と一緒に未来を生きる覚悟があるか?二人の新しい夢をゼロから作っていくことができるか?そして、千尋を支え続けることを約束できるか?

「僕は、明日もあさっても、ずっと・・・」
「ずっと千尋のことが好きだ」

俺は見守ることしか出来ないけど、この二人ならきっと最後の試練を乗り越えられるって信じてる。

「『わたしを連れてって』って、言ってたんです」

「最後がハッピーエンドでよかった」

この物語もハッピーエンドになることを願って・・・