電脳コイル 第24話「メガネを捨てる子供たち」

展開がはええ・・・。
デンスケの死、イサコの存在、メガネのない生活、「手で触れられるもの」だけが「本当のもの」?そしてここにきてマユミちゃん登場。それぞれのシーンはしっかり盛り上げてくれて、いい話もあったんだけど、それでも少し時間が欲しい・・・。せめて今回はメガネのない生活が普通になる辺りまで時間をかけて欲しかったな。

「手で触れられないものはまやかし」
「だから、この悲しい気持ちもきっとまやかし」

「今本当にここにあるものは、この胸の痛み」
「これはまやかしなんかじゃない。手で触れられないけど、今信じられるのはこの痛みだけ」

何が本当で何がまやかしなのか。手に触れられるものだけが本当のものならば、デンスケや13話の首長竜や、メガネを通して出会ったフミエちゃんたちの友情は全部まやかしだったのだろうか?
24話の間重ねてきた壮大な世界観も、大人の一言で簡単に終わってしまう子供の遊びに過ぎなかった。それは長い時間をかけて廃屋を秘密基地へと改造したのが1日の工事で取り壊されてしまうような、そんな無力感。
メガネがなくて退屈する子供たちだけど、それは一つの娯楽が終わっただけ。野球ができなければサッカーをすればいい。少しだけ変化を見せながらも*1毎日は続いていくわけで。しかし、それでもなお電脳世界にこだわったヤサコハラケンにとっては、電脳世界はその名の通りもう一つの世界だったのでしょう。それは電脳体と普通の体が密接に関連したイマーゴであるヤサコ*2と、他の子供たちとのそういったスタンスの違いであり、ヤサコとイサコが惹かれあった理由のひとつなのかもしれません。

*1:ダイチとか。珍しくカッコイイぞ。

*2:ハラケンもね