魔法少女リリカルなのはStrikerS 第09話「たいせつなこと」

こうして総集編っぽくまとめてみると、なのはさん無茶しまくってるよなあ。それにしても、昔のなのははかわいかった・・・・・・(遠い目)

さて今回は、予想通りなのはさんの回想シーン。相変わらず口先の会話だけで話が進むなあ・・・と思いつつも不思議と納得させられてしまうのは、それだけ彼女たちの言葉に力があるからなのでしょう。

「無茶をしても、命を賭けても譲れぬ戦いの場は確かにある」
「だが、お前がミスショットをしたあの場面は、自分の仲間の安全や命を賭けてでも、どうしても撃たねばならない状況だったか」
「訓練中のあの技は、一体誰のための・・・何のための技だ」

今回印象に残ったのはシグナムのこの台詞。それはつまり「その力は誰のため」「強さとは何か」という作品の根幹となるテーマに関わる重要な台詞。確かに、あのシーンはティアナが自分の力を誇示しようとしたに過ぎないように見えました。努力自体やその方向性は決して間違ってなくて、それはリミッターを解除したクロスミラージュの姿が何より証明している。ただ、自分を凡人だと思っていて、それをコンプレックスに感じているティアナは自分の強さを「大技」という分かりやすい形で求めてしまった・・・。
と、ここまで考えて気付いたんだけど、それって単にシグナムの立場から見た「強さ」の定義に基づいて説教をしているだけなんですよね。彼女にとって強さとは「大切な存在を守るための力」であって、自らを誇示する手段ではない。だからこそ、守るべき仲間を犠牲にして無茶な大技を出したティアナが許せなかったのでしょう。
でも、ティアナにとっては自分を通して兄を認めさせることが目的なわけだから、変な言い方をすると「強さを誇示してナンボ」なわけで。そういった観点では、今回のティアナとシグナムの衝突はどちらが正しいっていう話じゃなくて、純粋に価値観の相違なんだと思います。
その点なのはさんは分かってて、ティアナの思いを受け止めて共感した上で道を示してあげているのですね。「安易な大技は強さではない」という価値観の押し付けじゃなくて「わたしの言う通りに訓練すれは、きっと望む強さが手に入る」と。ラストシーンでティアナが見せた涙は、自分の理解者であったはずのなのはの気持を裏切ったことに対する謝罪の気持ち。なのはとシグナム、同じ「無茶をするな」という言葉でも、それぞれのスタンスによってニュアンスが変わってくるのは面白いですね。

・・・と長々書いてきたけど、実はティアナよりスバルの方が気になってたり。なんか「なのはさんはやっぱりいい人」みたいな感じに流されてて、その辺を掘り下げる気はなさそうなのですが、前回スバルが感じたなのはに対する憧れと現実のギャップは決して小さくないはず。言葉のレトリックになってしまいますが、1話で見せたようにスバルにとってなのはが夢の象徴であるのなら、このギャップは「夢が現実になる」通過儀礼と捉えることもできるんじゃないかと。漠然とした憧れから、それを現実にしていく過程の中で、スバルの目に映るなのはの姿もまた変わっていくのかもしれませんね。