あさっての方向。 第03話「あたらしい生活」

届かないビンタは届かない思い。尋へ「届かない」、子供という存在。それを象徴するリボンという小道具。リボンの委譲は子供と大人の交換。尋へ思いを届ける権利を引き換える儀式。
「ヒロ兄に負担をかけたくない」というからだの深層には「尋と対等になりたい」という思いがあったのか。だとすれば椒子の深層には「子供に戻りたい」ではなく妹への嫉妬、「からだになりたい」という思いがあったのでは。
大人になることへとまどうからだ、大人としての自分への違和感はモラトリアムの象徴なのか、からだの思いが真剣ではないということの象徴なのか。
尋のわずかな仕草を敏感に感じ取っていたりするところなんかが象徴的だけど、細かい芝居と演出が素晴らしい相乗効果を見せてくれます。このドラマを見せるにはリアルな芝居が不可欠なのでしょう。一つ一つの芝居が細かくて、そして一つ一つに意味がある。これはいいアニメですね!

・・・残念ながら今は大した感想が書けない状態なので、箇条書きっぽく書き殴ってみました。多分これ以上の考察はどこかのサイト様がやってくれているはず!

追記

リアルリアル言われてるみたいだけど、リアルなら警察行きだよ(笑)。そうではなく、キャラクターの感情にリアリティを持たせつつも、アニメとして成り立っているのがすごい。ありえない設定にリアリティを持たせるのは、やっぱり細かい芝居なんだよなあ。

追記2

恐怖・地雷女!