かしまし〜ガール・ミーツ・ガール〜 第11話「やす菜の瞳から消えたもの」

こないだの感想で言及してからもう一度聞きたくなって、「脱!やまとなでしこ宣言」を聞きなおしてるのですが、通勤途中にアニラジを聞くとニヤニヤした変な人になってしまうのでお勧めしません。俺ヤバイ。

さて今回。冒頭のビンタが琴線に触れた人、ホワルバやろうぜ、ホワルバ!!Leaf黒歴史にして隠れた名作。ドロドロが好きな人はぜひトライしてみることをお勧めします。

さて今回。実は上の文→追記→この行、という順番で書いてるので内容吹っ飛んでしまったのですが、ちょっとまじめモードに・・・。

やす菜の視界から人間の存在が消えてしまう。正直その設定はもはやどうでもよくなってしまったんだけど、ついに崩壊した少女三角形。お互いの本音を吐き出して、再び手を取り合うとまりとやす菜。しかし、一度崩れた三角形は二度と元の形に戻ることはないのでした。

と、大雑把に見ればやす菜ととまりの想いが熱い回ではあったのですが、ここまできたらどうしても上のレベルを求めてしまうのです。そういう意味では非常に不満の残る回ではありました。

やす菜の認知障害。これは「見えないから怖い」のか「怖いから見えない」のかどっちかなと思っていたけど、病気の症状としては前者なはず。それなのに、とまりとの一件で見えなくなるというのは、演出的には後者として扱ってるんだよね。無関心と拒絶は全く違う感情だと思うんだけど・・・。コミュニケーションに対する無関心さが引き起こす認知障害だとするなら*1、激しい拒絶を見せたとまりやはずむに対しては、より鮮明に認識できてもいいはずなのに。

そもそも父親が見えなくなったことにも、確かきっかけのようなものはなかったと思ったし、やす菜の感情が認知障害に関係してるっていう伏線はあったかしら*2?その辺の危機感があいまいだから、ドラマの盛り上がりとしては今ひとつだったような。

そしてラスト。「両方食べてもいいのよ」の論理が早くも崩れ去ったのはちょっと面白かったんですが、どうも奇麗事だけで話を進めているような感じがしてなりません。とまりの「お前ははずむにそばにいて欲しい。どんなに辛くても・・・見えなくても」という台詞はなかなか深いところまで行ったんだけど、自分だってやせ我慢してるじゃん!それで握手して仲直りって、なんだそりゃ!!もっと熱く、ドロドロに本音を吐き出そうぜ!この不完全燃焼感をどうしてくれるって感じですよ。この辺の、人間の心の奥をえぐるような心理描写はまだまだ少女漫画やエロゲーには叶わないんだなあ、と思ってしまいました。

追記

ホワイトアルバム」でぐぐって最初に出たサイト。
http://rabbitcorps.jp/flash/debut.htm
笑い殺す気か!!!かしましの感想吹っ飛んだわ!!

追記2

話に対する文句じゃなくて純粋な感想なんですが、あゆき。キサマ何様だよ!すっげー腹立った。あの女蹴飛ばしてやろうかと思ったよ。「舞台に上がらない」と観客を決め込んだくせに、脚本が気に入らなきゃ舞台に乱入ですか?傷つくことも、傷つけることからも逃げ出したくせに他人に偉そうに説教する資格なんてお前にはねーよ。何が「見損なったわ」だ。

「本気の気持ちには本気で返すべき」というのも結局は片方のエゴにしか過ぎないんですよ。やす菜ははずむの中途半端な優しさを責めていたけど、自分が好きだからって相手も同じだけの好きを返してくれるわけじゃないんですよ。あゆきさんも、あなたはとまりのことしか見てないからあんな偉そうな事言いますけど、自分が同じ立場になったら平然とやす菜を切り捨てられるんですかね?俺にはできないよ、あんな状態のやす菜を切り捨てることなんて・・・

*1:見返してみたら「コミュニケーションに対する欲求の欠如」とも言ってますね。無関心とも拒絶とも取れる微妙な表現ですな・・・

*2:もちろん原因は精神的なものだ、というのは感覚的に分かりますが