涼宮ハルヒの憂鬱 第14話「涼宮ハルヒの憂鬱VI」

いいボーイミーツガールでした。キョンにヤキモチを焼くハルヒがかわいーなあ。もっと早くこの話を見せてくれればハルヒに萌えたのに・・・。

最近出番の少なかったみくるの出番も多く、なかなか楽しい最終回でした。俺も作りたいぞmikuruフォルダー。

総感

作画のすばらしさや緻密にちりばめられたネタはいまさら俺が言うまでもなく。でもそういう装飾品を外してみれば、設定もキャラクターも、ストーリーさえどっかから切り貼りしたような凡庸さ。俺は神作画ってだけで有難がったりしない罰当たりな人間なので、せっかくの作画もストーリーと全く結びついていないのではイマイチついていけないです。アニメ的生々しさがそのまま演出になってたかみちゅ!とか、キャラクターと背景を含めてひとつの絵のような「AQUAの風景」を見せてくれたARIAとか、そういった作画とストーリーのマリアージュが全く感じられず、軽い話の中で作画だけが浮いてしまってる印象でした。

切り貼りしたような設定やストーリーを逆手に取って、シリーズ構成自体も切り貼りしてきたのには驚き。原作ではちゃんと時系列に進んでいる物語を「伏線」として再構成する手法は面白かったし、「退屈な日常を選ぶハルヒ」を最後に持ってくる構成の意図が最終回でようやく分かるようになってるのはすごい。ただその副作用として、ただでさえ薄いキャラクターが完全にメタ的なシンボルになってしまって、余計に感情移入を妨げてしまったかな。元々キャラクターに感情移入させる気なんてなかったのでしょうが・・・。

「憂鬱」編だけで言えば文句なしの名作だと思いますが、その後のエピソードはどれもネタとパロディだけで話を作っているように見えてしまって、涼宮ハルヒという「メタ的な現象*1」や各ネタの詳細解説以外の、キャラクターやストーリーといった本筋の面白さがなくなってしまっているのが残念なところです。

・・・と、世間一般で騒がれてるほど楽しんだわけではないと思うのでつい文句を言ってしまうのですが、それでも楽しかったですよ。「憂鬱」編のハッタリの利かせ方やハルヒの勢いで全てを押し流す演出とか、ここ数年味わうことのなかった快感を思い出させてくれました。

声オタ的観点からは誰も触れてないのが不思議。かわいい萌えボイスでありながら、ちゃんと先輩・・・というか年上に見せてくれる後藤邑子はもちろんすばらしい。そして、実は平野綾がこういう陽性ツンデレの役をやるのは珍しいし、茅原実里だってこの手のアヤナミキャラをやるのは珍しい。

長門さんがSQL喋ってるだの京アニの技術は世界いちぃぃぃだの、確かにそういうところもすごいんだけど、別の面からこのアニメを支えてきた声優さんたちに対してもお疲れ様でした、と言いたいです。

*1:いわゆるハルヒブーム。ハルヒと絡めたオタク論、エロゲー論、ラノベ論など