魔法少女まどか☆マギカ 総感

うーん。

中盤までは感想のまとめで何を書いてやろう、みたいなことを思っていたのですが、後半に進んでいくにつれて特に書きたいことも無くなっていった感じ。

作品そのものの感想としては、「シャフトらしさ」というモノを惜しげもなく投入した演出と、虚淵玄のトリッキーな脚本が相乗効果を発揮していて質の高い作品になっていました。何と言っても映像のインパクトがすごくて、蒼樹うめのキャラデザとイヌカレー空間というミスマッチがこれほど効果的とは思わなかったですよ。お話的にも色々な仕掛けを凝らしていて、この先どうなるんだろう?というドキドキ感がありましたね。

その一方、技巧が勝ちすぎたせいかキャラクターの内面については今ひとつ踏み込みが甘い感じで、不幸になる設定だから不幸になってる、みたいなシナリオの押し付け感がところどころにあった気がします。ラストも、仕方ないといえば仕方ないんだけど、無限ループを断ち切るために世界そのものを変えるっていう安易さは引っかかったかな。

作画もお話もインパクトはすごくて、それだけで十分楽しめました。だけど、その先に何かがあったか?と言われると、特に何も残らない作品ではありました。

この複雑な設定を1クールにキッチリまとめて、それぞれのスタッフが実力を遺憾なく発揮していて、これ以上を望むべくも無いのでしょうが・・・。既存の枠をもうひとつ超えた「何か」を見せて欲しかった、と贅沢なことを思ったりするのでした。

あ、続編とかは別にいいです(笑)

追記

あまり気は進みませんが、今しないと当分しないだろうから、このエントリーの後日談など。

「魔法少女まどか☆マギカ」に感じた断絶の話 - エネルギー吸収と発散

改めて読み返してみると、作品論については今でも同意見だなあ。特に「安易なルール破り」については最後の最後まで変わらなかった印象があります。

ただ、あのエントリーで言いたかったことは実は作品論そのものではなくて。そういう「安易なルール破り」に過ぎないものを、やれ「新しい」「リアル」「本物の魔法少女だ」などと言って持ち上げるアニメファンが気に入らなかった。いや、アニメファンが気に入らなかったというより、そういう作品を「本物」だと言うことで既存の作品が「ニセモノ」だと言われているように感じたのでしょう。

そこまで考えてから書けばよかったのですが・・・。当時は「アニメファンが気に入らなかった」までしか思考が辿りつかなかったんだよなあ。その結果、無理やり作品論に落とそうとして趣旨が分かりづらくなってしまった。

さて、じゃあ今はどうか?と言われると、特にそういう感情はなくて。ひとつの理由としては幸いなことに、この作品がどれだけのムーブメントを巻き起こそうと、決して「ニセモノ」などとは否定されない魔法少女ものに出会えたこと、あるいは再確認できたこと。もうひとつは、この作品そのものが魔法少女の否定や再定義といったモノをテーマにしていなかったこと。細かいところでは他にも色々ありますが、まあ何にしても「魔法少女とかは置いといて、作品として面白いね」という結論に自分の中では至った感じです。

反応の中に「全部見てから書け」的な意見も結構目にしましたが、最後まで見ればこういうことになる可能性は当時から十分感じていて、だとすれば当時の憤りを文章に残しておくことはやっぱり必要だったと思います。今ではもう、あの熱量は無くなってしまったから。

あとは・・・あのエントリーをプライベートの日記で書いてたとしたら、多分俺は感想サイトを続けていなかったし、もしかしたらアニメ自体を見るのも止めていたかもしれなかった。そういう意味でも書いておいてよかったと思います。