結局、なんでキスしたら元の世界に戻ったのよ。(涼宮ハルヒの憂鬱:総感その2)

時系列シャッフルはこの話を最後に持って来るためというのが原作既読派の大半のご意見のようです。だとすると、退屈で憂鬱な日常に戻るハルヒ、そしてハルヒキョンのキスシーンこそがこのアニメの主題であったのは間違いないでしょう。

しかし俺にはどうも納得いきません。大好きなキョンがキスをしてくれ、自分が憧れた非日常が目の前にあるセカイをハルヒは捨てるでしょうか?ハルヒにとって居心地がよく安心できる空間である*1閉鎖空間から脱出したいと思うのでしょうか?

この時点のハルヒにとって唯一興味があるのはキョンの存在だけ。とすれば、ハルヒにとって外の世界は何の興味もないモノのはずで、誰がどうなろうと知ったことではない。キョンが手をつないでくれて、ずっと二人でいられるこのセカイがいいに決まってる。

さらに納得いかないのは、多分このキスシーンの意味には答えが用意されてるであろうということ。そうでなければ「構成に難があった」とかもっともらしいことを言って切り捨てることもできたんだけど・・・。あれだけ緻密に計算された構成の、ラストエピソードがそんな無意味なもののはずがないでしょう。

そんなわけで昨日一日足りない頭で考えてた結果、あまり斬新な発想も出ずふつうの結論になってしまったのですが、とりあえず書いてみることにします。

主役はどっち? -- 「ハルヒ」が内包する二重ハーレム

いきなりわき道にそれますが。たまに見かける「主役はどっち?」のお話。

表向きの物語*2を考えれば話を動かすのはハルヒでしょう。残りのキャラクターはおとなしくハルヒに従い、振り回されるという逆ハーレム状態。しかしそこからもう少し俯瞰して世界全体を見渡した場合、とたんに世界のことを何も知らないハルヒの存在感は薄くなるのです。では代わりに中心に浮かび上がるのは誰か・・・と考えれば、全ての感情*3キョンに集中しているのが分かるかと思います。

つまり、

  • 表向きの物語: ハルヒを中心とした逆ハーレム構造
  • 裏側の物語: キョンを中心とした正ハーレム構造

という二重ハーレム構造になっており、物語のコンテキストによって二つのハーレム状態が切り替わっています。そう言った意味では「主役は二人」と言えそうで、「どっちが主役か」の議論はそもそもベースのレイヤーが違うのでナンセンスだと思うのです。これはなかなか面白い設定だなーと。

ちなみに、俺はメタ的に見るのは主義じゃないので、考察はどっちかというとハルヒ視点になると思います。

キョンってなんなのよ?

本名すら与えられず、物語内の立ち位置もあいまいな*4キョン。そんなシンボリックな存在である彼は、もしかしたらハルヒによって作られた「4人目の非日常」なのかも知れないですね。宇宙人、未来人、超能力者と同じくらい、ハルヒにとって好きな男の子は非日常であったと*5 *6。過剰なSF考証にミスリードされがちですが、この作品の本質は案外そんなところにあったりするのでしょうか。

ハルヒにキスをするキョンですが、これはハルヒに対する恋愛感情の結果ではなく、先に答えを与えられていたと考えるのが妥当でしょう*7。「白雪姫」「sleeping beauty」と、それだけヒントをもらえばいくら朴念仁のキョンでも答えに気づくはず。そしてその答えから、今まで無意識に封じ込めていたハルヒへの気持ちに気づいたんだと思います。

ハルヒキョン君の何が好きなの?

ハルヒの感じる憂鬱、それは誰しもが通るアイデンティティクライシス。今まで世界の中心だったハルヒはある時、世界の真の大きさに気づく。そして伸江おねえちゃんの気を引く美羽のように、奇行によって自分の存在を再び世界にアピールしようと奮闘するのであったが・・・。

古泉が指摘するように、誰よりも常識的な面を持ち合わせているハルヒ。傍若無人に振舞いつつも、世界に認められない自分と、自分を認めてくれない世界に対して常に不安を感じていたのではないでしょうか。そう考えれば、12話でのハルヒの不可解な言動も納得行く気がします。SOS団は、そんなハルヒが唯一世界の中心でいられる場所。それは、実のところハルヒ自身が発する「SOS」そのもの*8だったのかもしれません。

さて、ハルヒキョンを好きになった理由ですが。単に「認められたから」では豊富な恋愛遍歴(?)の説明がつかない*9し、「その人にだけ認められたい」という存在としてキョンを作ったのであればキョンの反抗的な態度が引っかかる。「ある程度認められながらも、自分の思い通りにならない」という微妙なさじ加減が、盲目的に自分を崇拝するだけの数多の過去の男*10と違っていたのかもしれませんね。

キスから始まるみらくるん♪

ようやく本題に。

そもそも閉鎖空間ができた原因はキョンへのヤキモチだから、キスでそれが解消された時点で閉鎖空間は消えるはず・・・とロジカルに考えることもできるし*11、単純にびっくりして力が消えただけかもしれない。ただ、「現実世界のほうが魅力的だ」とハルヒが認識するという仮説だけは違っていると思います*12 *13

なぜなら閉鎖空間のセカイにはキョンがいるから。宇宙人も、未来人も、超能力者もいないと分かっているハルヒが唯一認めたもの、そして認めてもらいたいものはキョンだけ。向こうの世界でどんな面白いことが起ころうとも、キョンが一番大事なハルヒにはどうでもいいことでしょう。つまりハルヒの恋愛要素は、元の世界に帰るための動機にはなりえないと思うのです。

ではなぜハルヒは元の世界に帰る気になったのか・・・と考えたのですが、「現実世界のほうが魅力的だ」ではなく「現実世界に帰るべきだ」とハルヒは常識の部分でそう思っていたのではないでしょうか。

非日常を求める心も、閉鎖空間も、ハルヒの現実逃避の象徴。常識の部分で現実逃避はよくないと思いつつも、居心地のよい閉鎖空間に本能的に身をゆだねたくなったのでしょう。今まで現実世界にしがみついてこれたのはキョンがいたから。でもそんなキョンは、みくるとイチャイチャしたり長門さんとイチャイチャしたりで自分のことなど全然気にしてくれない。キョンが自分を認めない世界なんて、もういらない・・・と閉鎖空間に閉じこもってしまったハルヒ。しかしキョンのキスによって再び退屈で憂鬱な日常に生きる勇気を与えられた、と考えると全てを矛盾なく解釈することができます。

結局のところ、「涼宮ハルヒの憂鬱」という作品は、ハルヒが世界を受容し、世界もまたハルヒを受容していく物語*14であり、ハルヒの本質は決してエキセントリックな言動ではなかったということなのですね。

追記

ハルヒも普通の女の子だった、という結論には我ながら不満が残るのですが、自分の疑問に対して全て整合性が取れる仮説はこれだけなんだよなあ・・・。うーん。

それはそうと、この長文を書くのに多くのサイト様の考察を参考にいたしました。どれもよく練られた考察で、WWWの広さを実感させられます。ありがとうございました。脚注で参考リンクをポイントしてます。

*1:ように描かれている

*2:野球をしたりとか無人島に行ったりとか

*3:古泉さえ(笑)

*4:「『涼宮ハルヒ』を語る三人のキョンhttp://bmp69.net/mt/archives/2006/06/post_409.html

*5:「男の子にとっての女の子は「ワケの分からない存在」である。そのワケの分から無さをSF要素で目に見える形でメタとして表現したのがこの作品である」http://d.hatena.ne.jp/PEH01404/20060703/p3

*6:「恋する心を誇張すればこれくらいすっ飛んだSFくらいに日常を変える」http://d.hatena.ne.jp/ontai-producer/20060703#p1

*7:「あれは賭けではなく解です」http://www.puni.net/~anyo/etc/haruhi.html

*8:「今回、彼女はものすごく明確にSOSを発したように思います」http://fujimaki.air-nifty.com/mousou/2006/06/13_ed2b.html

*9:ハルヒを好きってことは価値を認めてるってことだし

*10:いや、知らないけどさ

*11:最初はそう思ってた

*12:そうだったらこんなに悩まない

*13:けど、一周回ってそれもアリだと思ってきました。詳細はコメント欄をご覧ください

*14:「『涼宮ハルヒ』=社会を拒否していた少女が再び社会を受容するまでの道筋」http://amanoudume.s41.xrea.com/2006/06/12_1.html